高校教員の徒然日記

PMA~Positive Mental Attitude~

映画「アフタ-スクール」中の言葉「お前がつまんないのはお前のせいだ」から考える

こんにちは。北の大地で教員をしています「きんこ」と言います。

今日は私のブログを見てもらい、ありがとうございます。

 

今回はある映画の台詞から考えたことを書きます。

 

私の好きな映画の1つが「アフタースクール」です。

2008年公開で私が住む北の大地の「星」である大泉洋氏が主演し、「甘くみてるとダマされちゃいますよ」というキャッチコピーで上映されました。

そのキャッチコピー通り作品中にはいくつかの伏線が張られ、2時間に満たない映画のなかで複数の驚きを与えてくれます。最後には伏線すべてをしっかり回収してくれる素晴らしい作品です。

 

大泉洋氏が扮する主人公の神野(じんの)良太郎は中学校教師です。彼のもとに同級生と名乗る探偵の北沢(佐々木蔵之介氏)がやってきて、行方が分からなくなった友人探しを始めるところから話は始まります。

北沢は裏の世界と繋がっていて、「本当の社会」というものを知っていると考えていて、そんな社会に諦めにも似た感情を持っています。最後には警察に捕まるのですが、そんな彼への神野の言葉が今回紹介したい台詞です。

 

少し長いけれども引用します。

 

 

あんたみたいな生徒どのクラスにもいるんだよ。全部分かったような顔して勝手にひねくれて。この学校つまんねぇだのなんだの。…あのなぁ、学校なんてどうでもいいんだよ。お前がつまんないのはお前のせいだ。 

 

教師をやっている私もうなづいてしまった台詞です(こういう生徒って本当にいるんですよね…)。

 

ただここで大事なのは、この台詞は生徒(子ども)のことだけを言っているわけではないことです。

この世に生きているすべての人間が対象です。子どもにも大人にも、このような人はいます。

すべてを分かっているような顔をして、えらそうな講釈を述べる。そのくせ自分では行動することなく文句ばかり言う。物事がうまくいかなかったら自分ではなく世の中のせいにし批判ばかりする。そして「つまんねぇ、くだらねぇ」と言う。

 

神野が述べたように、「つまらない」原因は世の中ではなく自分自身にあります

 

もし世の中が原因だとしたら、すべての人間がつまらないと感じるはずです。しかし実際には楽しく幸せに生きている人だって多数いるわけです。生きている場所は同じ世の中であるにも関わらず、です。

 

「楽しい」という気持ちも「つまらない」という気持ちも個々の捉え方によるということは明らかなのです

 

社会でも学校でも人間関係でも、感情を動かす要因は「それ自体」にあるわけではありません。そこで自分が何をするか、どのように関わるかによって感情が変化します。

 

自分の外側にあるものは、基本的には自分のために何かをしてくれるものではありません(何かをしてくれるとしたら対価を支払った場合だけでしょう)。

置かれた場所は関係ありません。自分の行動こそが「楽しい」か「つまらない」かを決定づけます。

 

だからこそ目の前にあることに全力で取り組むことが大切なのです

 

一歩も二歩も退いた傍観者では「楽しい」という感情にはならないでしょう。

全力で取り組んだのなら、その結果が成功でも失敗でも「プラスの感情」を持てるに違いありません。

 

いま、目の前にあることに全力で向き合いましょう。全力で行動しましょう。そうすることでしか味わうことのできない感情があります。そしてそれは「つまらねぇ」とは逆方向に働く感情です。

その感情をより多く味わうことが「幸せな人生」を形作っていきますし、人生を成功へと導いてくれます

 

環境ではなく、自分自身の問題です。

 

一度しかない人生を思いっきり楽しむためにも前向きに全力で生きていきましょう

 

もう一度彼の言葉を引用して終わります。

 

 

学校なんてどうでもいいんだよ。お前がつまんないのはお前のせいだ。 

 


最後までお読みいただきありがとうございました。

2018年度第1回全統記述模試_国語_第1問(評論)_解説

こんにちは。北の大地で教員をしています「きんこ」と言います。

今日は私のブログを見てもらい、ありがとうございます。

 

今回は、2018年度第1回全統記述模試の国語、第1問の解説です。

 

このブログにある「文章の読み方」や「マーク式問題の解き方」(記述模試でも記号問題はありますので)をどのように運用するのかに重点を置いています。

そのため、「文章の読み方」「マーク式問題の解き方」をお読みいただいていることを前提に説明をしていきます。

まだご覧になっていない方は以下のリンクからご覧ください。

文章の読み方_まとめ - 高校教員の徒然日記

マーク式問題の解き方(センター対策)_評論文 - 高校教員の徒然日記

 

この読み方、解き方を徹底することで記述模試で点数を取ることができます

ぜひ身につけてみてください。

 

問題については、著作権の関係上ここに載せることはできません。ご自分で用意してください。

なお、黒本は前年度までの全統模試の過去問となっていますので、今日現在「2018年度第1回全統記述模試」は書店で購入できません。実際に受験した方のみ持っていると思います。

 

(追記:記述模試の過去問は出版されていません。黒本はすべてマーク模試の過去問です。ということで受験した方以外は入手が困難です。学校の先生が持っていることがありますので相談してみてください)

 

形式段落での説明がメインになりますので、お持ちの問題冊子に形式段落番号を記入してください。1~11までになります。

 

 

では、始めます。

 


問1 漢字

 

すべて基本的な漢字です。これらが書けなかったとしたら漢字学習をすることをオススメします。

漢字検定2級レベルまでは完璧にしたい所ですが、時期が時期ですのでせめて準2級レベルまでは夏までに仕上げましょう。

 


問2 空欄補充

 

空欄補充は「何となく当てはめる」のではありません。文脈を読み取った上で入れるべきものを選択します。その際、「文章の読み方」を意識して考える必要があります。では、実際に解いていきます。

 

空欄X

 

ポイントは3つです。

 

①傍線部を含む一文に指示語がある。
 →直前の内容を確認する。
②形式段落の中程の部分にある。
 →この段落では何の説明がされているのかを形式段落のはじめを見て確認する。
③「対比」を意識する。 

 

空欄Xを含む段落の内容は、形式段落7のはじめを読んで分かるように「仲間でない者に何かを与えること、純粋贈与」のことだと分かります。

 

ということは、Xを含む一文の部分は「純粋贈与」の説明だと考えられます。

形式段落の作りは「この話するよ→説明→この話のまとめ」でした

 

Xを含む一文には「この境界」という指示語があるので確認すると「異類の者、見知らぬ者…彼ら・彼女らとの境界線」です。

指示語の内容は基本的に直前にあるのでした

 

それを超えることが「純粋贈与」だということですね。

この「超えるそれ」は「純粋贈与」と対比されるものだと考えられます(「それ」を超えたものが「純粋贈与」なのですから)。

では、この文章において「純粋贈与」との対比は何でしょうか。形式段落6で述べられている「贈与交換」だということは明白です。

評論では「対比構造」を意識して読むことが重要でした

 

「贈与交換」とは6段落から「贈与交換はルールを共有する仲間内でなされるもの」です。

この「仲間内」というのが、先程指示内容で確認した「異類の者、見知らぬ者…彼ら・彼女ら」との境界内でしょう。

で、純粋贈与はこれ(仲間内)を超えたものであるというわけです。

 

そういう内容の選択肢は「イ 社会の掟の外部の出来事」しかありません。

 


空欄Y

 

ポイントは2つです。

 

①形式段落の中程の部分にある。
 →この段落では何の説明がされているのかを形式段落のはじめを見て確認する。
②空欄直前に「具体例」がある。 

 

空欄Yを含む形式段落の内容は、形式段落7のはじめを読んで分かるように「異類婚姻譚」の話だと分かります。

 

空欄Yは形式段落の中程にあるからその説明部分です。どういう流れか確認します。

 

空欄Yの直前を見ると「アンデルセン、人魚姫」という具体例です。

具体例の前後には、まとめがあるはずでした

 

具体例の前は「異類の者にとって境界線を超えることは危険だが、その上に自己を否定して、別の姿を取ってやってくる」です。

 

これの具体例がアンデルセンの人魚姫です。確認します。「『人魚姫がそうである(指示語の指す内容は直前なので、先程の内容「別の姿でやってくる」です)ように、異類の者が境界線を超えるためには法外な対価を支払う覚悟が必要」です。

 

具体例のあとの空欄Yを含む一文は「Yと考えると、境界線を超える異類の者の覚悟は深い」です。

 

この3つがすべてイコールになっているというのが「具体例」の読み方でした。

抽象的な内容→具体的な内容→抽象的な内容、A→分かりやすく言うとこうだ→改めてA

 

この3つの文を比べてみると、すべて2つの要素で成り立っています。

 

①境界線を超えることは危険、対価を支払う覚悟が必要・深い
②自己を否定して別の姿をしてやってくる 

 

空欄Yを含む一文には①の内容があるのですから、空欄には②の内容が入るはずです

 

そういう内容の選択肢は「オ 相手が女の正体を知らない」しかありません。(姿が違うから正体が分からないということです)

 


問2から分かるように「形式段落の読み方」「指示語内容」「対比構造」「具体例」は重要なポイントです。「文章の読み方」で説明したこれらのことを常に意識できるようになると簡単に問題を解くことができますよ。

 

 

問3 理由説明

 

ポイントは2つです。

 

①「なぜか」という理由説明問題である。
②形式段落のはじめの部分にある。
 →この段落で説明がされていくはずである。 

 

傍線部は形式段落1のはじめにあります。ということは、このあとにその説明がなされるはずだと考えて読みます。

 

形式段落1のおわりの方に「つまり」というまとめがあり「動物は人間にとってとても有用だからだ」とあります。まずはこれが答えです。

 

ただ、このあとに「しかし、この答えは一面にすぎない」だとあるから、まだあるってことです。で、この形式段落が終わってるんだから次の形式段落2で述べられるはずです。

形式段落の「おわり」は次の形式段落の「はじめ」に繋がっていきます

 

ということで、形式段落2のおわりを読むと「動物が人間とは異なりながらも多くの点で人間と共通していることで、人間に別の存在の在り方、別の世界の可能性、生の高次の次元をもたらしてくれるから」とあります。これがもう1つの答えです。


この2つをまとまれば答えになります。

 

記述試験であっても何の問題もありません。「文章の読み方」で読むだけです。

 


問4 内容説明

 

ポイントは2つです。

 

①「どのようなものか」という内容説明問題(イコール問題)である。
②傍線部を含む一文から「対比」を意識する。 


傍線部を含む一文を読んで、どのような一文かを確認します。

「初発の一切の見返りを求めない純粋贈与は、傍線部(たんなる『交換』)へと変質してしまう」です。

 

ここで大切なのは「主語と傍線部との関係」です。「純粋贈与=傍線部へと変わる」という一文の構造を押さえると、傍線部の内容は「純粋贈与」が変質する内容であること、そして、それは「純粋贈与」と対比されているものであることが分かります(「純粋贈与」が変わったのが傍線部なのですから)。

あれ、この説明、問2の空欄Xとほぼ同じですね。

 

そう、「純粋贈与」の対比は「贈与交換」でした。ただ、これだと言葉の内容が「贈与」と「交換」で全然違うので合わせましょう。傍線部を含む一文にばっちり書かれているのが「純粋贈与」なのだから、これに合わせて「交換贈与」とでもしておきます。

たとえば「金髪の少年」と「少女の黒髪」では、「性別」がメインなのか「髪色」がメインなのか全然違いますよね

 

で、「交換贈与」については形式段落6の内容でした。

 

形式段落6の3行目に「このような交換は『贈与交換』」とあるから、その指示内容を確認します。「贈与の前から返礼が義務的儀礼的になされる制度化された」交換だね。

「贈与」に視点を合わせて「義務的な返礼がある贈与」とでもします。

そして、これは仲間内でなされます(問2で確認しました)。

 

以上から、自分で答えを導くことができるはずです。

 

選択肢を見てみましょう。

選択肢は文末(後半)から見ます。この問題は、正解とエ以外はすべて選択肢文末で間違いだと判断できます。

 

 

ア「返礼」→「贈与」でした。
イ「返礼」→「贈与」でした。
エ「贈与」→文末はオッケーです。しかし、前半の「ルールを共有する仲間でない者からの返礼」が違います。仲間内でなされるのでした。
オ「サイクル」→「贈与」でした。 

 


「文章の読み方」を意識すると、ほとんどの問題は傍線部の近くに答えの根拠があることが分かります。しかし、この問題は傍線部の近くに答えがないパターンでした

このパターンはたびたび見かけますので構造を確認しておきます。

 

次のような文章構造、傍線部の位置になっている場合に、今回のように答えの根拠が離れた箇所になります。

 

形式段落1~5 Aの説明 
形式段落6~8 Bの説明
形式段落9   まとめとして「AとBは…」という文章になっていて、「AとBは」の「A」の部分に傍線部が引かれている。 

 

「A」の説明はすでに終わっているので、Aに関する問題は形式段落1~5の部分を読んで答えることになります。

このような場合があると一応知っておくことは有効ですが、「対比構造」を意識していれば(このパターンは対比構造の文章で出てくることが分かると思います)問題なく対応できると思います。

 


問5 内容説明

 

ポイントは2つです。

 

①「どういうことか」という内容説明問題(イコール問題)である。
 →「リレー」のニュアンスを反映する(何かを渡していくこと。バトンを渡していくのが陸上競技におけるリレーですね)。
②形式段落の中程の部分にある。
 →この段落では何の説明がされているのかを形式段落のはじめを見て確認する。 


傍線部は形式段落11の中程にあります。形式段落のはじめに「こうして異類婚姻譚では」とあるので「異類婚姻譚」の話です。

 

「こうして」と指示語があるから、指示内容を確認していきます。

 

「こうして」の直前である形式段落10のおわりに傍線部である「贈与のリレー」という言葉があり、その直前が「言い換えれば」なので、「贈与のリレー」は「鶴がなそうとしたこと」であることが分かります。

 

「鶴がなそうとしたこと」の説明は形式段落10の中程に述べられています。

 

その説明は形式段落10のはじめから「人はこの事態を指して、異類の者が人間世界へ来る」という「異類婚姻譚」のことだ分かります。ということは、「この事態」が「贈与のリレー」です。

 

指示語を確認するために、さらに戻ります。形式段落9です。

 

形式段落9のはじめとおわりを確認すると「無償性によって既成の世界理解や他者理解が揺さぶられて両者の境界線が乗り超えられる」という同じ内容になっています。これが「この事態」です。

 

「無償性」は形式段落8の具体例をはさんで説明しているので、形式段落7を見て(具体例の前後が主張)「純粋贈与」のことだと分かります。

 

これ以上は戻る必要がないので、ここまでの内容を後ろから順にまとめます。

 

①純粋贈与をする。
②その無償性によって既成の世界理解や他者理解が揺さぶられて両者の境界線が乗り超えられる
③その行為によって、鶴がなそうとしたこと(新たな純粋贈与)が生まれる 

 

☆「リレー」のニュアンスを出すために「純粋贈与が純粋贈与を生む」という流れで書きます。
☆「純粋贈与」とはどのようなものかという説明を足すとちょうどいい字数になります。

 


この問題では傍線部から随分前まで戻っていきますが、「文章の読み方」に従っているということが重要です。なんとなく遠い所を答えの根拠とするのではなく、しっかりとした根拠をもって答えにたどり着けるようになりましょう。

そのためには、しつこいようですが「文章の読み方」をマスターすることをオススメします。

 


問6 内容合致

 

内容合致問題は1つ1つ確認していくしかありませんので対策できません。

 

ただ、あくまで消去法でいくようにしましょう。微妙なのは残して、絶対に違うと分かったものから消去していきます。そして、残ったものを答えとするのです。

 

自分でそれぞれの選択肢の何が間違っているのかを考えてから、解答でどの部分が間違っているのかを確認しましょう。

 

 


いかがでしたか。

 

センター試験も記述試験も、やるべきことは変わりません。記述問題は「書く力」が要求されますが、書く内容を考える段階ではマーク式と同じなのです。

ぜひ「文章の読み方」を意識して文章を読んでみましょう。現代文の問題を解いてみましょう。

国語の学力は上がりますセンター試験でも個別入試でも武器にできるのです。

 


今後も他の問題を使ってブログを書こうと思います。自分で解いてみてブログで確認するという流れで勉強してみてください。

 

要望や質問は「お問い合わせフォーム」から受け付けていますのでご活用ください。

検討を祈っています。

 

では、今回はこれで終わります。


最後までお読みいただきありがとうございました。

アナザースカイでの堀江貴文氏の言葉「前提条件として、共有しなきゃいけない教養があるんですよ」から考える

こんにちは。北の大地で教員をしています「きんこ」と言います。

今日は私のブログを見てもらい、ありがとうございます。

 

 

「前提条件として、共有しなきゃいけない教養があるんですよ」 

 

先日放送されたアナザースカイでの堀江貴文氏の言葉です。

10年前にテレビ局を買収しようとした目的は「サブスプリクションモデル」をやろうとしていたからだったが誰にも理解してもらえなかったと語りました。今なら「アマゾンプライム」のようなものだと言えば多くの人がイメージできますが、当時は誰もイメージできなかったというわけです。

 

その話に続いた今田耕司氏の「説明があんまり足らんと人には伝わらないんだ」という言葉に対する彼の返答がこれです。

 

 

「説明は僕はうまい方だと思います。うまい方なんですけど、前提条件として共有しなきゃいけない教養があるんですよ。本をたぶん何百冊か読まないといけないぐらいの教養が前提にあった上で話してるんで『分かんねぇよ』ってなっちゃう」 

 

何かをするときには前提となる知識や教養がなければ話になりません。前提条件を満たしていなければ理解はできないということです。理解ができないから話を前に進めることはできませんし、多くの人は理解できないことを頑張ろうとはしません。そこで思考がストップしてしまうことになります。

 

このように考えると、私たちがやるべきことは「前提条件を身につけていくこと」と分かります。その前提条件にも前提条件があるでしょうから、さらに小さなことから身につけていく必要があります。

学習ならば、基礎を積み重ねて標準へ、標準を積み重ねて応用・発展へと行き着くと言えそうです。


私たちは突然大きなことはできません。小さなことを積み上げることが大きなことへと繋がっています。数百冊の教養の積み重ねが「サブスプリクションモデル」というシステムへの理解に繋がると堀江氏が述べたのと同じです。

 

ですから、まずは「小さなこと」を積み上げる必要があるのです

 


では、積み上げるべき「小さなこと」とは何なのでしょうか。

 

私は、この「小さなこと」には2種類あると考えています。

 

1つは、その段階で「目標に通じていると分かっていること」です。目標のために必要であるとあらかじめ分かっているものです。

 

大学入試で求められる小論文を書くことが目標ならば、課題文を読み取る力、要約する力、論理的な文章を書く力、自らの意見を考える力などが挙げられるでしょう。

この「小さなこと」は誰でもやるはずです。なぜなら、絶対に必要であると分かっているからです。


しかし、大切なのはもう1つあるということです。それは、その段階では「目標に通じるとは思っていなかったこと」です

 

自分では目標に通じるとは考えてもいなかった、もしくは無駄だと思っていたようなことが実は目標達成に大きな影響を与えるようなものです。こちらについては結果論でしか語ることはできません。その段階では必要だと分からないからです。

小論文で例えるなら、授業中の雑談や家庭科の授業で習ったことが課題文の内容であったとか、たまたま見ていたニュース番組について親と話したことが問われるような問題だったという場合です。これらは小論文のためという意識はなかったはずです。しかし、結果論として非常に役立ったわけです。

 


スティーブ・ジョブズ氏のスタンフォード大学卒業式でのスピーチは有名ですが、そこでもこのことに通じることが語られています。彼が話した3つの話の1つめです。ググればすぐに読むことができるでしょうから、是非読んでもらいたいと思います。

 

簡単にまとめると、興味に任せて潜り込んだカリグラフの授業が、10年後、マッキントッシュの成功に大きく貢献したという話です。そして、このことから「将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎ合わせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです」と語りました。

 


堀江氏が述べた何百冊か読まなければいけない教養というのも、ジョブズ氏の言う点と点のようなものだと考えられます。

 


その段階で必要だと分かっているものと、その段階では必要だと思っていなかったけれど自分の中に蓄えておいたもの。

目標の達成や、自分が思っていた以上の結果が出るときというのは、この2つがうまく融合したときに起きます。


忘れてはいけないのは、後者は「結果論として必要だと分かる」ということです。今やっていることが「必要」だと分かっているからやっているわけではありません。とりあえずやってみたことが後々実を結ぶことがあり、それがブレークスルーに必要不可欠の要素になりうるということです

 


初心者が熟達者に物事を習うとき、なぜこんなことをやるのだろうと疑問に思うことがあります。しかし、後々それは必要だったことに気付けるわけです。

大学受験や資格試験に向けた学習の中で、なんでこんなことをやる必要があるんだろうと思うこともあるでしょう。しかし、後々それが必要になってくるものなのです。


私は運動部の顧問なのですが、こういう場面がよくあります。

 

生徒は「この練習にどんな意味があるのですか」とすぐに聞いてきます。「いいから黙ってやっておけ」と答えることなどできるわけもなく、「こうこうこういう理由で必要なことなんだよ」と教えます。それでも、そのときの生徒のレベルではそのことが理解できません。結局よく分からないけど、先生が言っているから仕方なくやるようなことになります。

しかし、競技レベルが上がったある瞬間、突然こう言うのです。「先生、あの練習ってこういう意味があったんですね!やってて良かったです」「……(いやいや、そうやって説明したじゃん。ま、分かってくれたならいいか…)」

 

説明を受けてもよく分からなかったものが、ある程度のレベルに達すると突然言っていたことが分かるようになる。このような経験は誰にでもあると思います。

 

部活動に限らず、国語を教えていても、大学受験に向けた計画を一緒に立てていても同じようなことは多々あります。

 

これらのことから確実に言えることはこれでしょう。

 

 

未熟であるのに取捨選択ばかりする人はなかなか成長できない。
何でも吸収しようという姿勢の人は大きく成長できる。 


その時点で理解できることもあれば理解できないこともあります。そして、そのどちらも必要なことなのです。だから、その時点で自分にとって必要だと分かっていることだけではなく、不要だと思うこともやっておくことは大切なのです

 

私たちは答えが分かっている迷路を歩いているわけではありません。答えのない「自分の人生」を歩いているのですから目の前の「小さなこと」を1つ1つやっていくことが重要なのです。


変化の激しい時代だからこそ「前提条件」として明らかに必要なもの以上に、今の段階では必要だと気付けていないものが多くあるはずです。明らかなものを蓄えるのは当然として、必要だと思えないようなこともどんどん蓄えようとする姿勢を持つことが求められます。

 

字義通りの「先見の明」と、結果論としての「先見の明」があるのです

 


このことをちょっとだけでも意識して、「前提条件」としての「小さなこと」を積み上げるだけでも未来は大きく変わると思いませんか。

 


最後までお読みいただきありがとうございました。

ドラマ「僕の生きる道」中村秀雄の言葉「あと1年と思って何もしない人は…」から考える

こんにちは。北の大地で教員をしています「きんこ」と言います。

今日は私のブログを見てもらい、ありがとうございます。

 

 

「あと1年と思って何もしない人は5年あっても10年あっても何もしないでしょう」

 

2003年に放送されたテレビドラマ「僕の生きる道」は、草薙剛氏が演じる進学高校の教員である中村秀雄を描いた作品です。

 

3年生の担任である中村は健康診断の結果、胃癌のため余命1年と宣告される。それまで何の目的も持たず、なんとなく人生を送っていた中村は自暴自棄に陥るが、残りの人生を精一杯生きようと決意する…という内容です。

 

「死」をテーマとしながら「生きていくことの本当の意味」を問いかけた作品として、歴史に残る名作と言っても過言ではありません。私の好きなドラマベスト3には入る作品です。主人公が高校教師ということも影響しているかもしれませんが。

 

今日紹介した言葉は、その中村先生が生徒たちに言った台詞です。

「まだ先のことだから」「時間はまだあるから」と言って物事を先送りにする人は、いつまで経ってもそのことに手をつけることはありません。

やるべきこと、やらなければならないことが分かっていながら、それを後に回すとどうなってしまうでしょうか。後でやろうと思っていた「その時」になったら他にやることができているでしょうから、結局いつまでもできないということになってしまいます。
せいぜい締め切りギリギリになって、慌ててやるくらいのものです。そうしてやったとしても、ギリギリの時間だけで仕上げたものはその場をしのぐ程度のレベルにしかならないでしょう。

だから、いつかは「やる」と決まっていることならば、今すぐにやる必要があります。そうしなければ、いつまで経ってもやる「その時」は来ませんし、今からやることでより良いものにすることができます。

 

いま、自分がやるべきことを思い浮かべてください。その多くには期限があることと思います。なかには期限が目の前に迫っているものもあるでしょう。いま、それをやらなければやり始めたときには「時すでに遅し」となってしまいます。

 

私たちが持っている「とき」は、常に「いま」しかありません。

「いま」やらなければ、やる「いま」はいつまでも来ません。


いま、自分が持つやるべきことの期限を長いと捉えるか短いと捉えるかは人それぞれですが、どちらで捉えたとしても「いま」やることは決まっています。

いま何もしない人は満足できるくらいにやり切ることはできずに終えるでしょう。

いま取り組み始めた人は、満足のできる結果を手にすることができます。

 

成功する人と失敗する人。

それは、いまこの瞬間に何をしているかで、すでに決定づけられてしまっているのです。

 

「やりたい」と言葉で言っていても、実際の意識や生活はどうでしょうか。

もしやっていないとすれば、いま変わらなければいつまでも変わることはありません。

時間は刻一刻と過ぎています。

どんなに些細なことからでも構いません。

やりたいこと、やるべきことを、いますぐやってみましょう。

 

 


最後までお読みいただきありがとうございました。

エイブラハム・リンカーン氏の言葉「そのことはできる それをやると決断せよ」から考える

こんにちは。北の大地で教員をしています「きんこ」と言います。

今日は私のブログを見てもらい、ありがとうございます。

 

 

「そのことはできる それをやると決断せよ それからその方法を見つけるのだ」 

 

アメリカ第16代大統領であるエイブラハム・リンカーンの言葉です。

奴隷解放の父と呼ばれ、黒人奴隷を解放したことで賞賛されます。最後には暗殺されてしまいますが、偉大なことをやり遂げた人物だということに異論はないでしょう。

 

成功のためのたった1つの方法は「成功するまで続けること」です。
成功するためのたった1つの方法 - 高校教員の徒然日記

 

また、物事に対して用意周到になるのではなく、とにかく挑戦し続けることが重要であるとも書きました。
中村俊輔氏の言葉「課題が出てこない試合なんてない」から考える - 高校教員の徒然日記

 

ただ、それ以前の大きな問題を忘れていました。

 

それは、何を「やる」のかを明確にし、「やる」ということを決断するということです。

 

これなしに目の前のことをただ継続しても「成功」はありません。

なぜなら、何が「成功」なのかが分からないからです。

 

自分の考える「成功」の形を思い描くことが必要です。

自分は何をやりたいのか。どのようになりたいのか。

これを具体的に考えることから、すべては始まります。

 

「成功」の形を思い描いたのなら、「そのことはできる」、だから「それをやる」と決断することが重要だとリンカーンは述べます。

成功するたしかな道筋があり、目標に向かっていくという順ではありません。必ず達成するという強い気持ちが先にあって、それからその方法を探していくのです。

 

自分は必ずできる。絶対に成功する。自分にはその力がある。

こう信じることが「信念」となります

 

簡単に「信念」なんて書きましたが、「信念」を持つことは簡単ではありません。

はじめから自分に自信を持っている人などいないからです。

 

自信というのは何かをやり遂げた経験があって、はじめて手に入れることができるものだと考えられます。しかし、このように言ってしまうと、自信も経験も手に入らないことになってしまいます。

 

自信がないから新しいことに挑戦しない。挑戦しないからいつまで経っても何かをやり遂げることなく自信もつかない。

これが、なんとなく惰性で人生を送ってしまう人の典型例です。

そんな人生では後悔することの方が圧倒的に多いでしょうし、最期の時に「満足のいく人生だった」とこの世を去ることなんてできないでしょう。

 

「信念」を持つためには、何となくやっていたことが大きな自信に繋がるような経験となるか、自信はないけれども何かに挑戦していくかの2つの道しかないということになります。

 

前者は受動的であり、後者は能動的です。

受動的な方法を選んだとしたら、自ら何かに向かっているわけではありませんから、それがいつ叶うのかまったく分かりません。

能動的な方法を選べば、叶うかどうかは別としても、自分次第で経験をどんどん積むことができます。

 

「信念」を持つことができるような人物になるためには、どちらのほうが良いかは誰にだって明白なことです。

 

初めは誰だって自信を持っていません。できる確信だってありません。それでも、自分にはできると信じ挑戦することが必要なのです。このように自分を信じることが絶対にそれをやり遂げるという強い意志の源となります。そして、強い意志があるからこそ、実現するための方法を本気で探すことができるのです。


自分は何をしたいのか。

まずはそれを自問自答することです。

誰にだって、やりたいことはあるはずです。

やりたいことがないと悩む人は、無意識に実現する可能性が低いと決めつけて諦めてしまっているだけです。

私たちは何だってできます。諦める必要はまったくありません。

不可能だという思い込みをなくせば、私たちの可能性は無限です。

 

自分が望むことは何なのか。

それを思い出して、もしくは見つけて、「やる」ことを決断しましょう。

その「決断」が「成功」の始まりです。

 

 


最後までお読みいただきありがとうございました。

中村俊輔氏の言葉「課題が出てこない試合なんてない」から考える

こんにちは。北の大地で教員をしています「きんこ」と言います。

今日は私のブログを見てもらい、ありがとうございます。

 

 

「課題が出てこない試合なんてない」 

 

フリーキックの名手と言われ日本代表としても活躍したプロサッカー選手、中村俊輔氏の言葉です。「天才だ」とまで評価された彼でも常に課題があったことが分かります。


何かに挑戦しているとき、私たちの目の前には絶えず課題があります。自分がどのレベルに達しているかは関係ありません。初心者であろうと熟達者であろうと、課題が尽きることはないのです。

 

そして、その課題を乗り越えるたびに私たちは成長できます。目の前にある課題こそが成長するために必要なものだということです。

 

成功している人やうまくいっている人を見ると、課題なんてないんだろうと感じてしまいます。才能があるから何でも楽々とクリアするんだろうなと思ってしまいます。

 

しかし、この世に課題がない人なんて存在しません

存在しているのは、課題に真正面から立ち向かう人と、課題を前に立ちすくむ、もしくは後ろを向いてしまう人のどちらかです。

 

たとえ困難に見えても課題に立ち向かい、試行錯誤を繰り返しながら挑戦し続ける。自分自身の力を信じてやり続ける。

もし課題をクリアするために「才能」なるものが必要だとするなら、「課題を乗り越える力」が才能ではなく、「課題に立ち向かうこと」が才能だと言えます。

課題に立ち向かっていく人だけが成功者となることができるのです。

 

中村選手が偉大なプレーヤーとなったのは、課題に対して常に真摯に向き合ってきたからでしょう。自分の足りないところを見つめ、それを改善してきたからこそ素晴らしいプレーヤーとなったのです。

 


ただ、ここで絶対に見落としてはいけないことがあります。それは「試合」をしないと、そもそも乗り越えるべき「課題」が出てこないという視点です。

 

高校生を指導していると、彼らが2パターンに分かれることが実感できます。

 

用意周到に準備をして完璧な状態になってから挑戦しようという者と、準備はそこそこにとにかく挑戦する者です。

 

個人の性格の違いや考え方の違いから来るものでしょうから、この2つに優劣はありません。しかし、このどちらが成功していくかということははっきりしています。

 

後者の「準備はそこそこにとにかく挑戦する者」、彼らの方が成功していくことが圧倒的に多いのです

 

その理由は、「試合」を多くこなしているからに他なりません。試合で少しくらいつまずこうが、果敢に挑戦し続ける(再び試合に出る)のです。自分が未熟だと分かっている。分かっているからこそ何も恐れずに(もしくはたとえ恐れていても)試合に出続けます。そして、そのたびに課題を見つけ、その課題をクリアしようとあがくのです。

 

逆に、用意周到に準備をして物事に臨もうとする者はなかなか成功できません。彼らの多くからは「失敗してはいけない」「失敗することは恥ずかしい」「完璧なものでないと見せることはできない」という思いを強く感じます。そこにはプライドも関係しているかもしれません。しかし、このような姿勢でいると「試合」に臨む回数が劇的に減ってしまいます。それは課題を見つけるチャンスを失っていることと同義です。むしろ、自分の課題を見たくないから一歩を踏み出そうとしないのかもしれません。

 

このように考えると、たとえ準備が不十分であったり力が足りなかったりしても、挑戦する機会が多い者の方が大きな成長に繋がることは明白です。


まずは行動を起こす。すると必ず課題が出てくる。その課題をクリアするための行動を起こす。また課題が出てくる…。

 

何事かで成功するためには、自身の成長は不可欠です。

自身の成長は課題に挑戦することがもたらしてくれます。

課題を見つけるためには、試合に出ること、すなわち行動することが必要です。

 

立ち止まっていても成長をすることはできません。

トライ&エラーを繰り返すことで成長することができます。

その成長の先に成功があります。

初心者であろうが熟達者であろうが同じです。

 

とにかく前に進んでみませんか。

 


最後までお読みいただきありがとうございました。

継続のための心構え「たった5分」

こんにちは。北の大地で教員をしています「きんこ」と言います。

今日は私のブログを見てもらい、ありがとうございます。

 

何かをやることを決意しても、なかなか続けることができないことがあります。

 

成功するためには継続が大事だということが分かっていても、多くの人にとって継続することは難しいのです。

 

その理由は「本当にそれをやりたいのか」ということにつきるのですが、心の底からやりたいことに出会う前は継続が困難なのは仕方ないかもしれません。

 

そこで今日は、少しでも継続することができる契機になるような話をしたいと思います。


まずは、この言葉を紹介します。

 

 

たった5分!畜生!私は一生を通して5分遅れ通しだった

 

 

アメリカの社会学者チャールズ・クーリーの言葉です。

5分くらいなら遅れても大丈夫。誰もが持ってしまうこの気持ち。

でも、その5分が自分の人生を大きく変えてしまっていることに我々はなかなか気付くことができません。

たった5分に過ぎないその時間が人生に与える影響は本当に計り知れないのですが、その時点でそのことに思いを馳せることは難しいのです

 

彼の言葉は、自分の人生を振り返ってみたときに「たった5分」遅れっぱなしだったことによる影響が大きいということに気付いたときの気持ちでしょう。

心の底から「畜生!」という気持ちになっていることが伺えるのではないでしょうか。

 

世の中のほとんどのことには「期限」が設けられています

単に何かをやり遂げることが重要であるようなこともありますが、「期限」があるものに関してはそうではありません。

そこでは、期限内に終わらせることが最も重要な要素になります

受験や試験、イベントや仕事だって、やるべきことを期限内に終わらせることができなければ全く意味がないのです。

 

いくら皆で協力し楽しく準備をしても、完成しなかったら良い思い出とならない可能性が高くなります。

いくら必死で勉強し合格したいという強い気持ちを持っていても、範囲を終えることができなかったら合格することはできないでしょう。

 

 

「期限を守る」ということに中間地点は存在しません。

守れたか、守れなかったか。0か1かの2つしかないのです。

 

先程の言葉をもう一度見てみましょう。

遅れたのはたった5分かもしれません。

でも、「期限を守る」という観点から見てみると、常に「0」でしかなかったということになってしまいます。

一生を通じて何も積みあげることができなかったということになってしまうのです。

 

我々は常に何かしらの「期限」を持っているはずです。

それら1つ1つの期限をしっかりと守り、いまを生きることができるか。

身近な期限を守ることができない者に、人生にとって大きな転機となるような期限を守ることなんてできないでしょう。

 

私たちは突然大きなことができるようになるのではなく、日ごろの小さなクリアを通して大きなことをもできるように成長します。

 

それは「期限を守る」ことも同様です。

些細なことでいいのです。身の回りの小さな期限を守るという生活の積み重ねが、大きな期限を守ることにつながります。

期限までに余裕のあるもの、ないものと様々あるでしょうが、それらをしっかりと仕上げることで「期限を守る」ことが当然の人間になることができるのです

 

チャールズ・クーリーはこうも述べています。

 

 

「明日はなんとかする!」と思うのは馬鹿者だ。「今日なんとかする!」でも遅すぎる。賢者は昨日のうちに、済ませているものである。

 

 

何かを継続するということは、身近にある期限を守り続けるということでもあります。

 

いつまでに何をやるのか。この時間意識こそが「継続」するための要素の1つであることは間違いないでしょう。

 

たった5分なのです。

 

そのたった5分を行動に移せるかがすべてだと心に留めてみませんか。

 


最後までお読みいただきありがとうございました。