長野大学_小論文_2022年度_編入学試験
こんにちは。きんこです。
長野大学(2022年度・令和4年度編集学試験)の小論文の解説です。
Twitterでは新着記事や役立つ情報をお知らせしているのでぜひフォローしてください。
また、質問もこちらからどうぞ(^_^)
問題については、著作権の関係上ここに載せることはできません。
長野大学のホームページで過去の入試問題をダウンロードすることができますので、ご準備をお願いします。
このブログの「文章の読み方」などをどのように運用するのかに重点を置いています。
そのため、それらをお読みいただいていることを前提に説明をしていきます。
まだご覧になっていない方は以下のリンクからご覧ください。
現代文の力もつきますよ。
では、はじめます。
課題文は大塚久雄「社会科学を学ぶことの意義について」『生活の貧しさと心の貧しさ』所収です。
設問の解説の前に、長野大学が示している、小論文における「評価のポイント」を確認しておきましょう。
以下の記事で詳しく紹介していますので、まだご覧になっていない方は読んでおくことをオススメします。
編入学試験で特に意識しておきたいことは、課題文の筆者は何らかの「問題」を提起しているということです。
筆者が提起している「問題」はどういうことかを読み取るという意識で課題文を読みましょう。
それは、長野大学が求めている「評価のポイント」ですし、設問2ではその問題点についての自分の意見を述べることが好ましいからです。
設問1
課題文の要旨を200字以内で書く問題です。
まずは「要旨」とは何かを確認しましょう。
『現代新国語辞典』(三省堂)によれば
「要旨」とは「文章・話などの、おもな(だいじな)内容」です。
小論文における課題文では、多くの場合「要旨=筆者の主張」です。
それは、小論文の課題文はあるテーマについて筆者が何かしらの主張をしているものが圧倒的に多いからです。
ちなみにこのブログで解説をしている長野大学や名寄市立大学の小論文の課題文はそのようになっています。
ですから「要旨を書く」ということは、「課題文で筆者が主張していることを書く」ということができます。
また、長野大学の課題文では何らかの「問題」が提起されているはずです。
読み取るべき筆者の主張は、「問題点そのもの」であったり、「問題に対する筆者の考え」であったりするということを意識しておく必要があります。
まずは「小論文を書く力」というよりも「文章を読む力」が試されるわけです。
ですから、先程紹介した「文章の読み方」のブログを必ず読んでくださいね。
では、今回の課題文を読んでいきましょう。
形式段落ごとに見ていきますので1~3まで番号を振ってください。
1
社会科学を学ぶことは、われわれにとってどういう意味を持つか。
社会科学を学ぶことは、知るに値することを知ろうとする、そういう知的価値の追求で
ある限りにおいて、それ自体(社会科学を学ぶこと)として意味がある。
学問のために学問をするという一面がある。
学問として、他の文化諸領域(政治とか経済とか)における営みに対して相対的に意味を持っている。
自己目的という一面を持っていることを忘れてはいけない。
はじめにズバッと「問題」を提起していますね。
今回のテーマは「社会科学を学ぶ意味」となるでしょう。
これは、すでに確認した出典からも分かります。
そして、この段落では「社会科学を学ぶこと、知りたいことを知ろうとする営み自体に意味があり、自己目的という一面を持っていることを忘れてはいけない」と述べています。
長い段落ですが、読み取るべきことはコレだけですね。
2
社会科学を学ぶことは、自己目的の一面を持っており、これを忘れるとある種の退廃が起こりうる。
学問が他の文化諸領域の生の要求に屈して、ことがらの真実、真理がかくされると、学問は成り立たないし、他の文化諸領域にも良くない影響を与える。
その例として、ある特定の具体的な政治的要求にだけくっついて、学問をすべてそれに従わせようとすると、人々の間に学問をやろうという意欲がなくなるということが挙げられる。
第1段落の最後の「自己目的という一面をもっていることは忘れてはならない」と述べたことに対する理由が述べられています。
それは、社会科学を学ぶ意味を忘れてしまうと、学問が成り立たなくなることがあるからだというわけです。
最後に具体例があるので分かりやすいですね。
(政治的な要求があって、それに合わせるだけの学問なんて、誰も追求しようとしないですよね。だって、政治的要求によってある種の「答え」が決まっているのですから)
3
ところが
学問の営みをひたすら自己目的と考えて、社会科学なのに社会現象の現実の動きに関心を示さないというように、ただ学問のために学問をやるとなると、別の退廃が起こる。
社会科学は、正しい意味での時代の要請にとって(時代を支えている、あるいはその動きを推進している思想にてらして)、どういう意味を持っているのかという点が問われているといわねばならない。
逆接から始まっていますから、この段落が筆者の主張になっていそうです。
第2段落のように社会科学を学ぶ意味を忘れてもよくないけれども、社会科学の意味だけ(自己目的だけ)を突き詰めるのもよくないと述べています。
だから、社会科学の意味を考えるときには、時代を支えている、あるいはその動きを推進している思想にてらして考える必要があるとまとめています。
文末が「いわねばなりますまい」と強い表現になっていることからも、ここが筆者の主張だと考えられます。
なお、「別の退廃」の内容は述べられていません。
課題文では、自己目的だけになると「よくない」としか述べていないわけです。
本文の読み取りが終了しました。
要旨をまとめましょう。
課題文は「社会科学を学ぶことの意味」について書かれていました。
(「社会科学を学ぶことの意味とは何か」という問題提起と考えてもいいですよね)
ただし、そこには注意すべき点がありました。
(「社会科学を学ぶことの意味を考える際に大切なことは何か」という問題提起と考えてもいいですね)
これらについてまとめることが筆者の主張をまとめることになります。
まず「社会科学を学ぶことの意味」については第1段落で述べられていました。
社会科学を学ぶことは、知るに値することを知ろうとする、そういう知的価値の追求である限りにおいて、それ自体(社会科学を学ぶこと)として意味がある。
ただし、社会科学の意味を考えるときには注意点があります。
それが最後に述べられた内容であり筆者の主張です。
社会科学の意味を考えるときには、時代を支えている、あるいはその動きを推進している思想にてらして考える必要がある。
この2つをまとめます。
社会科学を学ぶことは、知るに値することを知ろうとする、そういう知的価値の追求である限りにおいて、それ自体として意味がある。ただし、社会科学の意味を考えるときには、時代を支えている、あるいはその動きを推進している思想にてらして考える必要がある。(121字)
コレに足していきます。
このままでは、後半の注意点の理由が分かりません。
理由は第2段落と第3段落前半の内容にあった「退廃」が起こるからです。
社会科学の自己目的という一面を忘れると、他の文化諸領域の要求に屈して、ことがらの真実、真理がかくされ、学問が成り立たないし、他の文化諸領域にも良くない影響を与えるという退廃が起こる。
ひたすら自己目的と考えて、社会科学なのに社会現象の現実の動きに関心を示さないというように、ただ学問のために学問をやるとなると、別の退廃が起こる。
コレを足してあげると
社会科学を学ぶことは、知るに値することを知ろうとする、そういう知的価値の追求である限りにおいて、それ自体として意味がある。ただし、社会科学の自己目的という一面を忘れると、他の文化諸領域の要求に屈して、ことがらの真実、真理がかくされ、学問が成り立たないし、他の文化諸領域にもよくない影響を与えるという退廃が起こる。また、ひたすら自己目的と考えて、社会科学なのに社会現象の現実の動きに関心を示さないというように、ただ学問のために学問をやるとなると、別の退廃が起こる。だから、社会科学の意味を考えるときには、時代を支えている、あるいはその動きを推進している思想にてらして考える必要がある。(291字)
一気に制限字数を超えてしまいました。
足した部分を短くします。
社会科学を学ぶことは、知るに値することを知ろうとする、そういう知的価値の追求である限りにおいて、それ自体として意味がある。ただし、社会科学の自己目的という一面を忘れると、ことがらの真理がかくされ学問が成り立たないし、他の文化諸領域にもよくない影響を与えることになる。また、社会科学なのに社会現象の現実の動きに関心を示さないというように、ひたすら自己目的と考えても退廃が起こる。だから、社会科学の意味を考えるときには、時代を支えている、あるいはその動きを推進している思想にてらして考える必要がある。(248字)
まだ48字も超えていますね。
もっと削らねばなりません。
社会科学を学ぶことは、知るに値することを知ろうとする知的価値の追求である限りにおいて、それ自体として意味がある。ただし、社会科学の自己目的という一面を忘れると、学問が成り立たないし、他の文化諸領域にもよくない影響を与える。また、社会科学をひたすら自己目的と考えても退廃が起こる。だから、社会科学の意味を考えるときには、時代を支えている、あるいはその動きを推進している思想にてらして考える必要がある。(199字)
これで完成です。
設問2
絶対に注意しなければいけないことは「設問」をよく見ることです。
具体的には「筆者の主張をふまえ」を見落とさないことです。
筆者の主張をふまえて、自分はどのように考えるのかを述べる必要があります。
ということで、筆者の主張を確認します。
設問1より、
社会科学の意味を考えるときには、時代を支えている、あるいはその動きを推進している思想にてらして考える必要がある。
これを考える上での前提も確認しておきましょう。
①社会科学を学ぶことは、知的価値の追求である限りにおいてそれ自体として意味があり、自己目的の一面を持っている。
②自己目的を忘れてもいけないし、ひたすら自己目的となってもいけない。
①も②もしっかりと押さえておく必要があります。
社会科学を学ぶことは知的価値の追求であればそれ自体に意味はあるけれども、自己目的という一面があり、それを忘れても、そればかりになってもいけない。
だから、時代の要請に叶った思想にてらして社会科学の意味を考える必要があります。
この内容(筆者の主張)を踏まえて、あなたが考える「社会科学を学ぶ意味」を述べることになります。
ここでは「社会科学」に限定されて述べられていますが、「学問」全体として考えてみることも可能です。
長野大学のどの学部に進むにしろ、課題文で述べられていることと無関係ではいられないはずです。
知的価値の追求のために学問はするが、そのときには「時代」にも照らす必要がある。
「たしかにその通りだ」と考える人が多いのではないでしょうか。
ですから、自分が学問をする意味は何か、ということに対して自分の意見を述べるような形になりそうです。
その際、課題文で述べられていない「別の退廃」の具体的内容に触れることができるといいですね。
自己目的のために学問をやるだけでは、具体的にどのような問題が起きると考えられますか。
それを明らかにすることで、時代の要請を意識しなければいけないということに繋げるといいでしょう。
以上の内容で400字で書きます。
基本の構成はこうなるのでした。
第一段落 筆者の主張を踏まえながら自分の意見を述べる
第二段落 自分の意見の理由、具体例
第三段落 意見のまとめ
二段落構成にする場合は、上記の「第二段落」の内容を第一段落か第三段落に振り分けることになります。
特に第一段落の筆者の主張を踏まえる部分では、筆者が提起している「問題」をしっかりと踏まえていることが分かる書き方にすることが重要です(評価のポイントですからね!)。
以上で書くと、合格できる小論文になりますよ。
書き方や表現などはブログではどうしようもありませんので、身近な方(学校の先生とか)に添削してもらいましょう。
これからも過去問に取り組んでみましょう。
長野大学は過去問が少ないので、名寄市立大学の課題文を使って練習するのもアリですよ。
では、終わります。
今回以外の長野大学の小論文の記事については、こちらからご覧ください。
ついでに名寄市立大学のリンクも貼っておきます。
Twitterでは新着記事や役立つ情報をお知らせしているのでぜひフォローしてください。
また、質問もこちらからどうぞ(^_^)