高校教員の徒然日記

PMA~Positive Mental Attitude~

アナザースカイでの堀江貴文氏の言葉「前提条件として、共有しなきゃいけない教養があるんですよ」から考える

こんにちは。北の大地で教員をしています「きんこ」と言います。

今日は私のブログを見てもらい、ありがとうございます。

 

 

「前提条件として、共有しなきゃいけない教養があるんですよ」 

 

先日放送されたアナザースカイでの堀江貴文氏の言葉です。

10年前にテレビ局を買収しようとした目的は「サブスプリクションモデル」をやろうとしていたからだったが誰にも理解してもらえなかったと語りました。今なら「アマゾンプライム」のようなものだと言えば多くの人がイメージできますが、当時は誰もイメージできなかったというわけです。

 

その話に続いた今田耕司氏の「説明があんまり足らんと人には伝わらないんだ」という言葉に対する彼の返答がこれです。

 

 

「説明は僕はうまい方だと思います。うまい方なんですけど、前提条件として共有しなきゃいけない教養があるんですよ。本をたぶん何百冊か読まないといけないぐらいの教養が前提にあった上で話してるんで『分かんねぇよ』ってなっちゃう」 

 

何かをするときには前提となる知識や教養がなければ話になりません。前提条件を満たしていなければ理解はできないということです。理解ができないから話を前に進めることはできませんし、多くの人は理解できないことを頑張ろうとはしません。そこで思考がストップしてしまうことになります。

 

このように考えると、私たちがやるべきことは「前提条件を身につけていくこと」と分かります。その前提条件にも前提条件があるでしょうから、さらに小さなことから身につけていく必要があります。

学習ならば、基礎を積み重ねて標準へ、標準を積み重ねて応用・発展へと行き着くと言えそうです。


私たちは突然大きなことはできません。小さなことを積み上げることが大きなことへと繋がっています。数百冊の教養の積み重ねが「サブスプリクションモデル」というシステムへの理解に繋がると堀江氏が述べたのと同じです。

 

ですから、まずは「小さなこと」を積み上げる必要があるのです

 


では、積み上げるべき「小さなこと」とは何なのでしょうか。

 

私は、この「小さなこと」には2種類あると考えています。

 

1つは、その段階で「目標に通じていると分かっていること」です。目標のために必要であるとあらかじめ分かっているものです。

 

大学入試で求められる小論文を書くことが目標ならば、課題文を読み取る力、要約する力、論理的な文章を書く力、自らの意見を考える力などが挙げられるでしょう。

この「小さなこと」は誰でもやるはずです。なぜなら、絶対に必要であると分かっているからです。


しかし、大切なのはもう1つあるということです。それは、その段階では「目標に通じるとは思っていなかったこと」です

 

自分では目標に通じるとは考えてもいなかった、もしくは無駄だと思っていたようなことが実は目標達成に大きな影響を与えるようなものです。こちらについては結果論でしか語ることはできません。その段階では必要だと分からないからです。

小論文で例えるなら、授業中の雑談や家庭科の授業で習ったことが課題文の内容であったとか、たまたま見ていたニュース番組について親と話したことが問われるような問題だったという場合です。これらは小論文のためという意識はなかったはずです。しかし、結果論として非常に役立ったわけです。

 


スティーブ・ジョブズ氏のスタンフォード大学卒業式でのスピーチは有名ですが、そこでもこのことに通じることが語られています。彼が話した3つの話の1つめです。ググればすぐに読むことができるでしょうから、是非読んでもらいたいと思います。

 

簡単にまとめると、興味に任せて潜り込んだカリグラフの授業が、10年後、マッキントッシュの成功に大きく貢献したという話です。そして、このことから「将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎ合わせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです」と語りました。

 


堀江氏が述べた何百冊か読まなければいけない教養というのも、ジョブズ氏の言う点と点のようなものだと考えられます。

 


その段階で必要だと分かっているものと、その段階では必要だと思っていなかったけれど自分の中に蓄えておいたもの。

目標の達成や、自分が思っていた以上の結果が出るときというのは、この2つがうまく融合したときに起きます。


忘れてはいけないのは、後者は「結果論として必要だと分かる」ということです。今やっていることが「必要」だと分かっているからやっているわけではありません。とりあえずやってみたことが後々実を結ぶことがあり、それがブレークスルーに必要不可欠の要素になりうるということです

 


初心者が熟達者に物事を習うとき、なぜこんなことをやるのだろうと疑問に思うことがあります。しかし、後々それは必要だったことに気付けるわけです。

大学受験や資格試験に向けた学習の中で、なんでこんなことをやる必要があるんだろうと思うこともあるでしょう。しかし、後々それが必要になってくるものなのです。


私は運動部の顧問なのですが、こういう場面がよくあります。

 

生徒は「この練習にどんな意味があるのですか」とすぐに聞いてきます。「いいから黙ってやっておけ」と答えることなどできるわけもなく、「こうこうこういう理由で必要なことなんだよ」と教えます。それでも、そのときの生徒のレベルではそのことが理解できません。結局よく分からないけど、先生が言っているから仕方なくやるようなことになります。

しかし、競技レベルが上がったある瞬間、突然こう言うのです。「先生、あの練習ってこういう意味があったんですね!やってて良かったです」「……(いやいや、そうやって説明したじゃん。ま、分かってくれたならいいか…)」

 

説明を受けてもよく分からなかったものが、ある程度のレベルに達すると突然言っていたことが分かるようになる。このような経験は誰にでもあると思います。

 

部活動に限らず、国語を教えていても、大学受験に向けた計画を一緒に立てていても同じようなことは多々あります。

 

これらのことから確実に言えることはこれでしょう。

 

 

未熟であるのに取捨選択ばかりする人はなかなか成長できない。
何でも吸収しようという姿勢の人は大きく成長できる。 


その時点で理解できることもあれば理解できないこともあります。そして、そのどちらも必要なことなのです。だから、その時点で自分にとって必要だと分かっていることだけではなく、不要だと思うこともやっておくことは大切なのです

 

私たちは答えが分かっている迷路を歩いているわけではありません。答えのない「自分の人生」を歩いているのですから目の前の「小さなこと」を1つ1つやっていくことが重要なのです。


変化の激しい時代だからこそ「前提条件」として明らかに必要なもの以上に、今の段階では必要だと気付けていないものが多くあるはずです。明らかなものを蓄えるのは当然として、必要だと思えないようなこともどんどん蓄えようとする姿勢を持つことが求められます。

 

字義通りの「先見の明」と、結果論としての「先見の明」があるのです

 


このことをちょっとだけでも意識して、「前提条件」としての「小さなこと」を積み上げるだけでも未来は大きく変わると思いませんか。

 


最後までお読みいただきありがとうございました。